風の旅人:能登の自然
2017-10-07T21:07:09+09:00
makimaki59
東西南北、風の吹くまま、気の向くままに、いろんな事象に触れてみたい。NEWSの語源も東西南北を表しているそうです。カメラは、コニカミノルタのα Sweet Digitalです。コメント、トラバ、リンク歓迎です♪
Excite Blog
奥能登国際芸術祭スズー④
http://kazetabi.exblog.jp/25831992/
2017-10-07T21:07:00+09:00
2017-10-07T21:07:09+09:00
2017-10-07T08:37:18+09:00
makimaki59
能登の自然
近くの道の駅に車を止めて、約10分間の急な山道を喘ぎながらのぼり
見学してきました。晴れていて条件が良ければ佐渡島も見ることが
できるということですが、この日は、あいにくの曇り空・・・残念でした。
この灯台は、能登~佐渡往復のクルーザー・レースでは
航海の道しるべ(海標)として大いにたすけてもらいました。
等明暗白光灯台 3秒
白色の光で光っている時間と暗くなっている時間が同じく
この間隔が3秒間ということで、この時間をはかることで
禄剛埼灯台と判別することが出来るわけです。
実効光度55,000cd 光遠距離18海里(約33㎞)
明治16年に設置された灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれています。
昭和38年に無人化され、遠距離操作によって集中管理されています。
★
粟津の海岸(三崎地区)
小山真徳 「最涯の漂着神」
(さいはてのひょうちゃくしん)
前から見るとただの漂着した舟
海側から見るとその中に人魚姫が・・・
形も舟の竜骨ではなくて鯨の骨・・・?
浜に降りてみないと作者の意図を見逃すところでした。
了
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奥能登国際芸術祭スズー③
http://kazetabi.exblog.jp/25823195/
2017-10-06T10:18:00+09:00
2017-10-06T07:46:47+09:00
2017-10-06T07:21:09+09:00
makimaki59
能登の自然
「海上のさいはて茶屋」
よしだぎょうこう+KINOURA
海に突き出た船小屋を利用した「茶屋」
茶室からは岬の風景が・・・
{
「船首方位と航路」
アローラ&カルサディージャ
曽々木海岸につななる奇岩の多い
風光明媚な木浦海岸でした。
つづく
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奥能登国際芸術祭 スズ ②
http://kazetabi.exblog.jp/25800294/
2017-10-04T08:39:00+09:00
2017-10-04T09:25:14+09:00
2017-10-03T16:53:50+09:00
makimaki59
能登の自然
笹波口バス停 大谷地区
アレクサンドル・コンスタンチーノフ(ロシア)
「珠洲海道五十三次」
笹波海岸 大谷地区
深澤孝史「神話の続き」
漂流物によって創られています・・・
古来、日本海側は大陸と結ぶ表玄関、
物の交流はもとより、人との交流、更には亡命者や
いまで云う難民の受け入れの地でもありました。
能登には大陸の文化を伝える墳墓や祭りが、今に残っています。
大陸の新しい文化や新しい技術とともに渡来した人たちを
「漂着神」「渡来神」として崇めたことが、伺えます。
能登の神社やその鳥居は海に向かって建てられいる
ことが多く、遠く離れた祖国を思う証ともいわれています。
現在は、中国や韓国から潮に乗ってやってくるゴミの漂流物の山のようですが・・・
そこから、いにしえの大陸とのつながり、そこに横たわる日本海
それに風、潮流など、もろもろのことを考えさせてくる作品でもありました。
つづく
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奥能登国際芸術祭 スズ
http://kazetabi.exblog.jp/25799525/
2017-10-03T16:00:00+09:00
2017-10-03T20:03:16+09:00
2017-10-03T14:45:05+09:00
makimaki59
能登の自然
知人の車に乗り合わせて出かけました。
内灘発は8:00 能登里山街道(旧能登海浜有料道路)を北上
途中、七尾湾を一望できる別所岳の"能登ゆめテラス”で休憩。
曽々木を経由して時計回りで珠洲、飯田方面に向かいました。
最初の展示ヶ所の①の大谷地区の旧清水保育所に着いたのは
10時半過ぎ・・・能登海浜道路や珠洲道路ができる
昭和40年~50年前の頃は奥能登に出かけるとなれば
一晩泊まりの行程だったことを思えば、
随分と奥能登へ行くにも便利になりました。
塩田千春さんの「時を運ぶ船」
すごいインパクトとエネルギに圧倒されます。
★
②大谷地区 赤神の小屋
村尾かずこ「サザエハウス」
サザエの殻の中のイメージで中は渦巻き状の漆喰仕上。
殻の角からは外の風景も望むことが出来ます。
つづく
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石﨑奉燈祭ー2016 その2
http://kazetabi.exblog.jp/23382673/
2016-08-07T21:11:00+09:00
2016-08-08T15:52:22+09:00
2016-08-07T21:08:02+09:00
makimaki59
能登の自然
奉燈は文字の書かれている側が正面です。左から東一区「魚満浦」 東二区「満年楽」 東三区「志欲静」東四区「智仁勇」 西二区「満祥雲」 西一区「群魚舞」
★
20:00夕食休憩を終えて各奉燈は堂前広場から町の東の端へと移動します。
狭い道一杯に重さ2トン⒑mを越える奉燈が、鉦、太鼓、笛の音とイヤサカサッサイ、サカサイ、サカサッサイの威勢の良い掛け声とともに進んでゆきます。
グリンパンツは東一区
女装して鉦、笛を吹くのは男子小・中学生です。次につづくは「満年楽」の東二区の奉燈
奉燈絵も文字の書体を変え新調した東三区の奉燈「志欲静」(こころざし 静ならんと ほっす)ですが欲の草書体だと思うが、くずし過ぎて、分かるだろうか・・・
新調された奉燈絵は赤を基調とした「韋駄天」です。
東四区の「智仁勇」・・・古くからの奉燈文字だが、好きな書です。
能登のキリコ祭り(奉燈祭)が、文化庁の日本遺産に認定されたことは嬉しいことでした。過疎によって伝統の継承にも厳しくなってきている中でこの指定は、能登に元気を与え、祭りの継続の励みにもなっているようです。
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石﨑奉燈祭ー2016
http://kazetabi.exblog.jp/23381614/
2016-08-07T12:58:00+09:00
2016-08-07T13:43:14+09:00
2016-08-07T12:55:12+09:00
makimaki59
能登の自然
堂前に集合した奉燈の群れ
鉦太鼓笛が奉燈の動き、担ぎ手100名の動きをコントロールします!青パンツは東四区の若衆達です。
ピンクパンツの西二区
イケメンぞろいの西一区!元気いっぱいです
堂前で各奉燈の乱舞が終われば20:00までは夕食休憩です。
つづく]]>
能登の秋
http://kazetabi.exblog.jp/22540359/
2015-11-21T19:28:00+09:00
2015-11-22T08:22:45+09:00
2015-11-21T19:28:53+09:00
makimaki59
能登の自然
高齢化が進み人手不足からか収穫されないままに柿の木が目立つようになってきました。
枯露柿づくりの盛んな矢駄地区の柿干し小屋
こちらは上棚矢駄インター付近の後山の農家集落によって枯露柿の吊るす方法も違うようです。
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奥能登スナップ写真
http://kazetabi.exblog.jp/22294487/
2015-10-08T22:23:00+09:00
2015-10-09T09:44:09+09:00
2015-10-08T22:23:43+09:00
makimaki59
能登の自然
別所岳「能登ゆめてらす」展望台
七尾西湾方向
珠洲焼の銭瓶
珠洲ビーチホテル
珪藻土コンロ工場
曽々木海岸輪島沖「七ツ島」
千枚田
南惣美術館
車窓からの夕日
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幻の珠洲焼 ②
http://kazetabi.exblog.jp/22285183/
2015-10-08T08:54:00+09:00
2015-10-08T18:33:25+09:00
2015-10-08T08:55:00+09:00
makimaki59
能登の自然
為重さんは、1959年珠洲焼古窯跡調査に参加するなど450年余り途絶えていた珠洲焼製法の復活に尽力しました。
珠洲焼について話す為重さん平安時代に使われていた珠洲古窯を参考に自宅横に造った窖窯(あながま)窯の両脇には、燃料の赤松の薪がうず高く積まれています。
窖窯の構造がよくわかります。作品に窯入れは年4回、赤松の薪を使い6日間夜通し焚き続けるそうです。
招き猫?大変、人懐こい黒猫ちゃんでした。
ビニールに包み保存してある珠洲焼の陶土。門外不出の陶土と聞くが、販売していないのだろうか・・・?
本焼き前のビール用のマグカップ?
陶房の建物周りには思うような焼き上がりならなかったいろいろな作品が無造作に置かれています。気に入ったものがあれば、お持ち帰りくださいとのことでしたが・・・
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幻の珠洲焼
http://kazetabi.exblog.jp/22280946/
2015-10-07T09:14:00+09:00
2015-10-07T14:15:27+09:00
2015-10-07T09:14:50+09:00
makimaki59
能登の自然
珠洲市立珠洲焼資料館
今回の研修旅行の参加者は約30名学芸員の方の案内で展示物の説明と歴史等について学びました。
珠洲櫛目袈襷紋壺・・・鎌倉時代末珠洲焼の特徴は須恵器と陶器の中間に位置するもので現代でいう轆轤は使っていなくて、紐状にした粘土を積み重ね木製の叩き板で成形していく手法をとっています。
海あがりの珠洲焼周辺海域からは難破船の積み荷であった珠洲焼の甕や壺類が底引き網に引っ掛かり見つかることもあります。そのほかの現存している珠洲焼のほとんどは土の中にあったものです。
甕:大甕はなかなか高価で当時の貨幣価値とすれば軽自動車1台くらいの値段だったようです。とうてい庶民は買えなかったのでは・・・
資料館の敷地内に復元された窖窯(あながま)完成 2011.3鎌倉時代の寺家クロバタ3号窯跡(国史跡)をモデルに復元されたそうです。窯を触ると暖かくて、焼成中でした。この窯で還元焔焼成することで「灰黒色」になります。
窯の大きさ:全長9.8m 全幅3.2m (焼成室最大幅2m) 平均傾斜角度⒑度
★
各方面の努力で珠洲焼の技法は復活。(1976年 )
現在は十数名の陶芸家が窯を持ち制作に励んでいますこれらの作家の作品展示販売をしている珠洲焼館も、敷地内にあり興味のある人は、一度訪れてみてはいかがでしょうか・・・
つづく
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能登〝別所岳”「能登ゆめてらす」
http://kazetabi.exblog.jp/22223198/
2015-09-25T10:11:00+09:00
2015-09-25T23:56:38+09:00
2015-09-25T10:11:11+09:00
makimaki59
能登の自然
スロープ状の遊歩道で展望デッキに行く方法とエレベーターを利用する方法があります。いずれにしても、この「能登ゆめてらす」無料なのが、うれしい~♪
展望デッキから見た七尾北湾この北湾には、金沢工業大学穴水自然学苑ハーバー・宝山マリナー・西岸ハーバーや椿碕マリーナーなどがあり、西湾とともに大型艇のポイントレースでよく使う海面でもあります。
左側が七尾北湾・・・北湾の入り口が、広いことから「大口」七尾港のある七尾南湾は湾の入り口が狭いことから「小口」と呼ばれています。
正面に位置する島が「能登島」左側の海面が「七尾北湾」、右側の海面が「七尾西湾」万葉集にも詠まれている、能登島は良質の舟材がたくさんとれたようです。
その一首 大伴家持が能登国巡行の時に詠んだ歌です。
鳥総立て 船木伐るといふ 能登の島山今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ (巻17-4026)
(訳) とぶさをたてて、お祭りをして 船材を伐り出すという 能登の島山を、 今日見ると木立が茂っている。幾代を経て神々しいことか
和倉温泉側の七尾西湾と七尾港側の七尾南湾が合わせて望めます。能登島と結ぶ手前が「ツインブブリッジ」奥が「能登島大橋」
和倉温泉
家持の「香島より 熊來をさして 榜ぐ船の 楫取る間なく 都し思ほゆ」巻17-4027 を踏まえてか弁天崎公園には高浜虚子の「家持 妻恋い舟か 春の海」の句碑があります。虚子が、戦後まもない昭和24年4月に和倉温泉を訪れた時に詠んだ句です。
※香島・・・七尾(所口) 熊木・・・中島]]>
「男女滝」(なめたき)
http://kazetabi.exblog.jp/22090175/
2015-08-29T07:16:00+09:00
2015-08-29T09:34:07+09:00
2015-08-29T07:17:00+09:00
makimaki59
能登の自然
西二又川が注ぐ、この男女滝、名前の由来は2本の流れが夫婦(みょうとのように寄り添っていることからつけられたようです。この滝の落差は35m、女滝の方が本流、男滝の方が支流です。
以前はこの近くに小学校があり夏ともなれば、この滝は絶好の水遊び場でした。滝壺はプール、滝の流れは自然のウォータースライド、滑り台。子供たちが楽しく遊ぶようすは、夏の風物詩でした。
★
この滝を見るために設けられた、男女滝・寄り道パーキングで今ではなかなかお目にかかれない珍しい昆虫「タマムシ」を発見!カメラに収めることができました。
調べてみると、この玉虫は「ヤマトタマムシ」あの法隆寺の国宝「玉虫厨子」に使われいるタマムシです。「玉虫色の決着」などに使われる玉虫色の語源は見る角度によって色が違う(どのようにもとることができる)ことからきているそうです。]]>
「まれ」のロケ地〝大沢”へ
http://kazetabi.exblog.jp/22080885/
2015-08-26T19:57:00+09:00
2015-08-27T18:29:43+09:00
2015-08-26T19:57:12+09:00
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能登の自然
朝市道り近くにある「いろはばし」希と圭太との出会いのシーンでよく使われた場所です・・・40年後のマレ?
輪島漆芸美術館では「漆とおばけの世界」展を開催していました。
入口に漆の木が・・・子供の頃、山の中を飛び歩きよくかぶれたものでした。
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この後、NHK朝ドラの「まれ」のロケ地の一つ大沢地区へと出かけました。
能登内浦のボラ待ち櫓を模して造られた見張り台・・・?
つづく]]>
能登路に春をもとめて・・・
http://kazetabi.exblog.jp/21706583/
2015-04-13T10:09:00+09:00
2015-04-13T13:08:35+09:00
2015-04-13T10:09:06+09:00
makimaki59
能登の自然
七尾北湾の夜明け・・・左手に見えるのは「青島」
西岸のハーバーでは冬の期間、陸揚げしていたヨットを海に戻すための作用が行われていました。
大型クレーン車で海に下ろされた右からアナコンダ、風望里・・・午前中に全6艇を下ろす予定だとかいよいよ大型艇もシーズン開幕です。
"能登さくら駅”で知られる七尾線能登鹿島駅のさくらはいまが見ごろ金沢と比べると満開の時期も約1週間近く遅いようです。風旅の若いころは、さくらの花のトンネルが出現!と言った駅のホームでしたが、私同様に随分と樹勢が衰えてきている感じがしました。]]>
雨宮古墳群
http://kazetabi.exblog.jp/14933273/
2011-11-13T10:09:00+09:00
2011-11-13T21:36:25+09:00
2011-11-13T10:09:45+09:00
makimaki59
能登の自然
雨宮2号墳の墳頂からみた2号墳前方部と1号墳。
2号墳後円部頂上部から下方を見る2号墳は前方後円墳で全長65.5メートル、後円部径42メートル、前方部前端幅28メートルあるそうです。
1号墳は前方後方墳。全長64メートル、後方部幅43.6メートル、前方部幅31メートル、後方部高さ8.5メートル。古墳群内の中では一番高い雷ヶ峰頂上に位置しています。
1990年に発掘調査が行われ銅鏡や銅、鉄製武器、農具など多数が出土しています。
1号墳の墳頂部に設置された国土地理院の三等三角点三角点名は雨宮山、標高187.95メートルだそうです。
1号墳の上からからみた雨の宮17号墳円墳で石室があるそうです。それにしても墳墓の多さに驚きます。旧鹿西町の資料では36墳、また他の調査では40にのぼると見られています。
1号墳からは石動山系の峰々や邑知潟地溝帯、それに千里浜方面。2号墳からは七尾湾なども一望できる眺めの良いところでした。
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