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倶利伽羅不動尊

旧北陸道・倶利伽羅峠の山頂にある「倶利伽羅不動尊」を訪ねました。この寺の歴史は深く社伝によれば養老2年(718)にインドの高僧善無畏三蔵法師が元正天皇の勅願によって開山されたということです。この倶利伽羅の地名もインドのサンスクリット語で黒龍を意味し、日本三不動尊の一つ倶利伽羅不動尊が手にする剣には黒龍が巻きついているそうです。
時代の変遷とともに寺の庇護者も、源頼朝、上杉謙信、佐々成政と移り行き、江戸時代には戦禍で荒れ果てた寺院を再興して加賀前田藩が祈祷所として、また、参勤交代の要所として宿泊・休憩所として手厚い保護をして峠は栄えたようです。

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鬼瓦には菊の御紋・棟瓦には前田家の梅鉢の紋が飾られていました

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旧北陸街道にあった地蔵の幾つかはこの境内に安置されていました

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和光塔

by makimaki59 | 2006-08-19 13:03 | 日記 | Comments(1)

旧北陸道 倶利伽羅峠

源平の古戦場、倶利伽羅峠を訪ねました。木曾義仲が「火牛の計」で平惟盛を総大将とする平家の大軍を打ち破った峠で知られています。
現在ではこの難所を避けて迂回道路ができていることから、ほとんど交通量がありませんが、旧街道を後世に残そうと国土交通省が計画した「歴史国道」整備事業として、旧北陸道では、この倶利伽羅峠が選ばれています。

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倶利伽羅峠のあるこの山は砺波山と呼ばれていました。

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源平供養塔

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十返舎一九は「越中道中ひざくりげ」の中で倶利伽羅不動の茶屋の繁盛振りを記している。

 芭蕉もこの地で「義仲の寝覚めの山か月かなし」と詠んでいます。 


  おまけ
トイレの表示

 
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男性用は木曾義仲・女性用は巴御前・・・?


     
by makimaki59 | 2006-08-17 20:52 | 日記 | Comments(2)

沖縄の旅シリーズ3-その4

おきなわ郷土村
美ら海水族館に出かけた翌日、同じ海洋博公園内にある「おきなわ郷土村」見学に出かけました。この郷土村は17世紀から18世紀の沖縄の島々の民家を再現したもので、いにしえの沖縄の生活を彷彿させてくれます。

地頭代の家(ジトゥデーヌーヤー)
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地頭代の家・・・地頭(領主)の代官屋敷

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ノロの家
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ノロとは村落の神事祭祀を司る神女のことです。

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by makimaki59 | 2006-07-06 08:50 | 沖縄の旅 | Comments(2)

内灘林帯遊歩道の花々

久しぶりに内灘町林帯遊歩道を散歩して見ました。ニセアカシアの林の中につくられた、この遊歩道も植生が変り、いろいろな樹木が植えられています。主に桜・椿・松・百日紅・合歓の木等々。松は地味だが、それらの木々はその時々に美しい花をつけ目を楽しませてくれます。
肥料分の少ない砂丘の地もニセアカシアが落とす落ち葉や瑠根のお蔭で長年かけて土壌改良されたためだろうか・・・・・。
もう一つの楽しみ、ボランティアの人たちの植えた花々。季節ごとにいろいろな花が植えられ散歩する人たちの心を癒してくれています。

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内灘町林帯遊歩道は花盛り

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ハマナス

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露草

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花菖蒲

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この花は?・・・失念しました。

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遊歩道はかつての米軍試射場につながる鉄板道路を横断。。

その延長は2.2㌔あります。

by makimaki59 | 2006-06-24 17:45 | 河北潟の四季 | Comments(1)

百万石まつりハイライト・・・その3

百万石まつりハイライト・・・その3

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幼くして前田家に入った玉姫と3代藩主となる利常

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利家夫人の「お松の方」
   
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利家も若き頃、信長の赤母衣隊に属してました。
    
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若武者ぶりを見せた赤母衣隊

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利家公の後姿・・・・来年はどなた様が・・・また、お会いしましょう♪

by makimaki59 | 2006-06-11 14:19 | 金沢散策 | Comments(6)

金沢城内にある旧陸軍第六旅団司令部

以前,旧陸軍第九師団司令部・同師団長官舎・偕行社・兵器支廠兵器庫 (石川県立歴史博物館)などを
紹介しましたが、今回は金沢城内に残る旧陸軍第6旅団司令部庁舎を紹介します。
旅団とは、師団の管下に置かれ旧陸軍では1師団に2旅団が置かれました。
また、旅団の下には通常2~3の歩兵連隊が置かれました。
第九師団では、日露戦争前の明治31年以降、その隷下に歩兵第七連隊と歩兵第35連隊編成による
第六旅団と歩兵第19連隊と歩兵36連隊編成の第十八旅団(福井県敦賀に司令部)がありました。

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城内「切手門」・・・藩政時代は側室の住まい数奇屋敷がありました。

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旅団は師団と連隊の間の中2階的(中間管理職的?)な存在だったようです

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旅団長は少将クラスで副官2~3名・事務取り扱いの書記役の曹長2~3名と
それに連隊から派遣される当番兵のこじんまりした組織だつたようです。

旧陸軍第九師団司令部の建物
■旧陸軍偕行社の建物
■第九師団長官舎





 
by makimaki59 | 2006-06-07 20:39 | 金沢散策 | Comments(5)

金沢城 石垣回廊を散策

金沢城は石垣の博物館といわれるほど、各年代の石垣が残っています。石川県ではこの石垣の修復・保存へと動き出しましたが、このほどこれらの石垣を近くで見ることができるようにと木道が完成しました。名付けて「石垣回廊」。
県体育館横の宮守坂から旧陸軍第6旅団司令部の建物のある数寄屋敷跡につながりています。
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県体育館のある玉泉丸跡の石垣の石積みは綺麗だ言われている

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切り込みはぎの石積み

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この春に完成した木道・・・階段でひと休みする仲良しおばあちゃん?

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切り込みはぎや打ち込みはぎの石積みとしたのは玉泉丸庭園の借景として石垣を使ったためと言われています。

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■金沢城の石垣は石垣造りのプロ集団「穴太衆」(あのうしゅう/滋賀県坂本)の手によるものといわれ、その一族の血を継ぐ家として加賀藩穴太として「後藤家」が知られている。
by makimaki59 | 2006-06-05 22:07 | 金沢散策 | Comments(4)

気比神宮

北信越ジュニアヨット大会の開催地「小浜」に行く途中、少し時間があったので敦賀の気比神宮に行ってみました。何度か近くを通ったことがありますが、ゆっくり見学するのはこれがはじめて。かつては越の国の総鎮守とあって荘厳な社殿に感動しました。
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重要文化財の大鳥居・・・春日大社・厳島神社と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つ

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702年(大宝2年)に建立・7柱のご祭神が祀られています

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お宮参りの家族づれを何組か見ました♪

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主祭神は伊奢沙別命。後に仲哀天皇・神功皇后・大和武尊命・
慶神天皇・玉姫命・武内宿禰命を加え七座の祭神が祀られています
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by makimaki59 | 2006-05-30 08:35 | 日本海の景色 | Comments(4)

白山麓の名刹「白山本地堂」(林西寺)

白山麓は信仰の深いところです。
かっては「加賀は百姓の持てる国」といわれ、その行政の中心が一向衆の拠点尾山御坊でした。百年近く続いた民衆の統治も織田信長の北陸方面軍によって落とされます。この戦で最後まで必死に抵抗を続けたのは白山麓の鳥越城を拠点とした一向衆たちでもありました。
この名残か、この地域では本願寺派門徒が多く報恩講がいまも盛んに行われています。
信仰の厚さを示すかのようにお寺の造りの立派さにも驚かされます。
ここ白峰の林西寺はその代表格です。寺の敷地内の白山本地堂には明治の廃仏稀釈で壊される運命にあつた白山の峰々にあつた「下山仏8体」が安置されています。その1体「銅造十一面観音菩薩立像」は国指定重要文化財で11世紀中期に造られた金銅仏として仏像造りの変遷を知るためにも貴重な1体のようです。この他の7体も県の重文に指定されいます。
これらの貴重な仏像が残存できたのは、林西寺の当時の住職可性法師が下山仏を集め密かに安置していた功績によるものです。
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白峰の林西寺(養老元年(717年)白山を開いた泰澄大師が開基したお寺)

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御堂の広さ・使用されている柱などの大きさに圧倒されます

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一木彫りの龍の欄間・中央の龍は舎利塔を掲げている

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左側は仏典の巻物を掲げる龍

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玉を握る龍・・・福井の平泉寺(へいせんじ)の匠の作

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「東本願寺の床板」・・・改修の際、ここ白峰から大量の床板が寄進されたことを記した数枚の床板が見つかり、その1枚がふるさと「白峰」に里帰りた。
■明治元年・・・・神仏分離令 / 明治7年・・・廃仏毀釈令が公布される。
by makimaki59 | 2006-05-16 23:21 | 日記 | Comments(2)

七尾の「デカ山」・(青柏祭)

昨日は七尾の「青柏祭」、内灘の「世界の凧の祭典」など県内イベントが目白押しでしたが、帰省した娘のリクエストで朝早くから白山麓方面に出かけました。山は新緑のシーズンを迎え「山笑う」の俳句の季語にピツタシの様相でした・・・・♪
この風景は次号以降に掲載することとして、今日で3日間の幕を閉じる青柏祭最終日の早朝のデカ山を紹介します。

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七尾には3台のデカ山があるが、その1台「府中町のデカ山」-7:30撮影

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デカ山正面・・・日本一の大きさを誇るデカ山は国の重要無形民俗文化財に指定されています

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正面には木遣り衆が乗る舞台(足場)が設けられています

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造船技術駆使して平成9年に新調された車・20トンの重さを支えます

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デカ山の内部、以前は藤蔓で組まれていましたが、蔓を採集する人も少なくなり
今はロープで代用しています。

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辻回し、方向転回に使われる地車(小車)の格納場所

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今年から法被も新調、役割によって色違いだったものが統一されました

■memo デカ山の重量20トン・高さ14メートル・上部開き16メートル・車の直径2.10・府中町、今年の出し物は「一豊 功名軍記」です。
by makimaki59 | 2006-05-05 12:05 | 能登の祭り | Comments(8)