花見月の地名の由来・・・

「花見月」というロマンチックな名前の集落が中能登町にあることを紹介しました。
この名前の由来を知りたくて、手持ちの地名辞典や中能登町役場、
それに役場から紹介された区長さん宅や集落の古老(H.I氏)宅に
電話をしてお話を聞くことにしました。

しかし、合併前の鹿島郡鳥屋町史にあるように「花見月」の由来は(不詳)のとおり
詳しいとことは良くわかりませんでした・・・

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北陸鉄道のバス停の看板

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平凡社発刊の石川県の地名 日本歴史地名大系⒘

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1991年9月29日発行 初版第1刷 特別定価24,000円

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この地域からは縄文土器や平安時代の須恵器の窯跡が見つかっていることから

古くから人の営みがなされようですが、記録文書として残るのは1351年(観応2年)に記された
長野季光軍忠状の中に戦いの地として「花見槻」(はなみずき)の名が登場している。
この時代は南北朝時代(1349~1352)とも呼ばれ
室町幕府内の内紛から足利直義と足利尊氏が対立
この地にあっても互いの所領地に攻め入ることがあったようです。

槻は欅(ケヤキ)の古い言い方(漢字)とのことで
花見についても
万葉仮名使いで違う意味をもつているかも知れませんね・・・
古老からFAXで送っていただいた資料「花見月の今昔」の中にこんな歌が載っていました。
「都鳥 やつるるころの 花見月 ちりぢりの愛 よみがえるかな」塚本邦雄(新歌枕東西百景) 


memo:「観応の擾乱」「花見槻の戦い」「長野季光軍忠状」(得江文)
※足利直義党の井上袋丸・富来俊行らが拠点の羽咋郡富来院から花見槻方面に進出する。
この南北朝を背景とする一連の戦いは尊氏党が勝利する。

by makimaki59 | 2016-01-26 15:54 | 日記 | Comments(2)
Commented by 花咲か爺 at 2016-01-27 10:18 x
地名由来調査をご苦労様でした。
花見月は雨の宮古墳にも近いところですから、古くには地名どおりの風情ある場所だったかもしれませんね。

寒波は今日あたりから少し緩むようです。
日本だけではなく、アメリカや中国なんかも凍りついているようですね。
今年は春が早く来るという予報がでていますので期待しましょう。
Commented by makimaki59 at 2016-01-27 19:43
花咲か爺さんへ

近くに雨の宮古墳や花見月古墳があるところから
古墳時代から、この地域は能登方面の重要な地位を占めていたのでしょうね

花見月(槻)の地名からイメージしても、きっと花が咲き誇る
自然豊かな風情のある土地だったのでしょうね。
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